こんにちは。
皆さん、最近映画見てますか?
その映画、世間の評判でしか選んでませんか?
まぁ全然それでいいと思うんですけど、
すこし冒険して映画を見に行くのも楽しいのになぁ
と、思います。
そんなことは置いておいて、「すずめの戸締まり」が
公開されましたね。
新海さんの最新作ということでかなり期待が集まっている作品ですが、
僕はいち早く完成披露試写会に10/25、行ってきました。
本公開まで、感想を言うのは控えていたのでやっと話せるようになって
ワクワクしてます。
本公開されてからもう一度見てきたので、フレッシュな記憶のまま
少し語ります笑
ネタバレガンガンしていくので気を付けてね。
僕はとにかく「天気の子」が大好きで
劇場では20回以上、家での視聴を合わせると50回を超えるくらい
見てます。
一回目の緊急事態宣言明けは一番にグランドシネマに行って天気の子を見てきたり、
すずめの戸締まり公開に際し行われた、imaxの再上映でも
グランドシネマに一週間毎日通って天気の子を見たりするくらい
天気の子が大好きなので同じ熱量で比べてしまうところがあると思います。
しかし、天気の子は50回見ていますが、すずめの戸締まりは2回しか見ていないので
理解が及ばない点もあると思います。
その辺、優しくこの先を読んでくださいね。
新海さんの映画ってどれも愛の物語だと思うんです。
すずめの戸締まりもいろんな場面で愛を感じました。
各地域で優しくしてくれる人々、
草太へのすずめのおせっかい、
母親のいないすずめをしつこいほど気にかけて大切におもう叔母の環、
実は扉の場所を教えてくれていたダイジン、
などなど。
旅のなかで多くの愛を受けながら成長していくすずめが、
大切に思う草太のために尽力するわけです。
この愛がこの物語の肝であり、僕が戸惑った点でもあるんです。
まず天気の子における愛についてみてみると
親や学校などの地元から愛を得られなかった(感じられなかった)帆高が
東京に出てくる。しかし、みんな数多くいる家出少年として扱い
家に戻すことが幸せであり、家に戻すこと正解だと思い込んで
帆高をめんどくさい少年として取り扱います。
一方、陽菜は両親がおらず小学生の弟と二人暮らし。
陽菜に対しても、社会は冷たく接します。
姉弟が一緒に暮らす方法を模索してくれる人はおらず、保護し管理することが
正解だと決めつけて愛を受けません。
そんな中、二人は出会います。
陽菜は帆高に家出した理由を深くは聞きません。
帆高も陽菜と弟・凪が二人で暮らしている事情について深くは聞きません。
しかし、それは互いを愛する上で何の障害にもなりませんでした。
最終的に帆高は、そんな社会ではなく陽菜を選ぶわけです。
これが、僕からするととてもキラキラしていて
胸を打ったわけです。
しかし、すずめの戸締まりだと
すずめはいろんな人から愛されています。
いろんな人から愛されていることがあんまりなのではなくて
そこにすずめが気づくまでの過程が引っかかるんです。
もう少し詳しく書きますね。
すずめは前記した旅の途中で出会うさまざまな人々に助けられてきました。
すずめが愛されていたのは居なくなってしまった母親も同様です。
母親から大きな愛を受けていただけに、
死んでしまったことが小さな少女に与えた影響は計り知れません。
そのため、叔母の環からの愛情も素直に受け止めることができず
喧嘩してしまいました。
しかし旅の終盤、
環を含めたくさんの人に囲まれていることの幸せにきづいた
すずめは扉の向こう側で母親を失ったころの自分と出会い、自分は
たくさんの人から愛を受けているということを伝えます。
こうして、旅を通して成長していくすずめには胸を打たれましたし、
この愛が映画の一番の根幹であればとてもよかったです。
しかし、ここに草太という存在が出てきます。
すずめは「草太さんのいない世界が私は恐いです。」とまで言い切ります。
自分の命を犠牲にしてまでも助けたいというほど草太へ愛を抱きます。
個人的にはそこまで言うほど草太と親密になる体験があったようには
思えません。
草太と旅をすることになったのも割と仕方無くでしたし。
そしてこの段階では自分の命をなげうつという考えで、自分は
たくさん愛されているから草太と一緒に生きて戻ってくるという
考えではありません。
それはおそらく、
このセリフのタイミングでは、まだ環とのわだかまりも解消されておらず
母親の死も本当の意味では乗り越えられていないからだと思います。
(本音を言い合える家族がおらず、帰る必要がないと考えているのかも)
ではこの段階から、扉の向こう側に行きついて
すずめが愛に気づいて考えが変わるまでに発生したイベントを挙げてみましょう。
・震災から10年ほどたった被災地の景色を他人はきれいだと感じることへのギャップ
・環と本音をぶつけたことによる仲直り
・ダイジンは開いてしまった扉の場所まで案内してくれていた
の三点ではないでしょうか。
この中で一番すずめの心が動いたのは環との喧嘩ではないでしょうか。
何が言いたいかというと、
環との喧嘩だけですずめの人生観変わりすぎでは?ということです。
ちょっとストーリーをまとめますね。
突然椅子に変わった草太を考えなしに、とっさに追いかける。
↓
椅子から元に戻すために全国を回る。
その中で、たくさんの人から愛を受ける。
↓
草太が要石となってしまう。
自分と命を引き換えにしてまでも、草太を取り返したいすずめ。
↓
環たちとともに宮城に向かう。
その途中で環と喧嘩し、仲直りする。
↓
扉にたどり着き、自分はこれまでの人生たくさんの愛を受けてきたことを
幼少期の自分に伝える。
さらにまとめると
旅の途中、たくさん愛を受けてきたすずめはその愛に本当の意味で受け入れておらず
草太の為であれば自分は死んでもいいという考えを抱いてしまう。
最終的にはその考えを改め、草太を助けると同時に人々から受けた愛を幼少期の自分に
伝える。
となります。
改めて何に違和感を感じているかというと
・旅の途中に出会った人々からの愛に盲目となってしまうほど草太に熱中してしまう。
そこまで草太と親密になるほどのイベントは果たしてあったのか。
・環との喧嘩及び仲直りだけでこれまでの出会った愛、そして母親の死を乗り越えることは
難しいのではないか。
の二点です。
みなさんはどうおもいますか?
考えすぎなのかもしれませんが、新海さんは男女の物語が主ですが
今回はそれが逆に邪魔しちゃってるなーと思いました。
年齢も大学四年男と高校生女という恋愛に発展させれない年齢差なので、
扱いが難しいんじゃないかなと感じました。
でももちろんよかったところもあって
まず映像は圧倒的にきれいになっていました。
最初の風に揺れる花を見ても天気の子の屋上の花の描写よりもさらに
きれいでした。
あとは列島旅の誘導もスムーズでとてもよかったです。
縦断していく方法とそれを可能にする方法などは現実味を帯びていて、
さらに各地域でいい意味で使い捨て方も考えられていてすずめへの感情移入の
邪魔になりませんでした。
あとは感想ではなく疑問なのですが、
劇中に天気の子のBGMである「K&A初訪問」が使用されていました。
それがなぜ「K&A入社式」ではないかという疑問です。
どちらもとてもよく似ているBGMなのですが、個人的には入社式の方が
天気の子の中ではキーとなる場面で流れているBGMなので
そちらのほうがいいのでは?と思ってます。
みなさんはどうおもいますか?
というわけで長々と書きましたが、お付き合いいただきありがとうございました。
今回の映画はこれまでの作品と違い、明確に観客にメッセージが
投げかけられた作品でした。
これまでは主人公たちと同じ気持ちで世界や登場人物のその先を見届ける最後でしたが、
今作は現実の問題をテーマにしているだけあって
観客側に考える時間と頭が必要な気がします。
僕ももう少しすずめを理解したいのであと2回はムビチケがあるので見に行こうと思います。
ポッキー&プリッツの日が正式名称???
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